具志堅用高記念館

住職

2009年03月22日 22:00



石垣市内で具志堅用高資料館を訪ねました。

存在は昔から知っていましたが、入館は今回が初めて・・・。

聞いている噂では、具志堅さんの親父さんが居て、お笑い系の話しかなく、

「期待できない」との思いも少々でしたが、思いっきり感動の内容でした。



新川の表通りに位置しますが、建物の陰になり分かりにくい場所です。

400円を払い入場。

入るとメインの展示は2Fというので、目の前の階段を上がりました。

すると、階段の壁には当時のタイトルマッチのポスターがずらり・・・否が応にもテンションが上がります。



2階を上がると、小さいながらもリングがあり、栄光のタイトルマッチの奇跡の記念品がずらり。

その時、階段上のテレビのスイッチが入り、タイトルマッチが始まりました。

「1Fの親父さんの粋なはからいだな~」と思いつつ、展示品を見ていると・・・



一番奥のこの写真あたりで、テレビから突然大きな歓声が・・・相手のダウンだ!

急いでテレビに戻ると、3回でしたか・・・それから相手のチャンピオン(グスマン)から、ほぼ毎回のダウンを奪い、

圧倒的な強さで、7回KOの試合・・・タイトル奪取の試合でした。(残念ながらボクシンブ動画からは著作権侵害で削除)

私が小学校5年の年ですが、うっすらウル覚えなのは、世の中大騒ぎだったこと。

この試合いが始まりだったんですね・・・伝説の。

すっかり力が入すぎて、奥歯もミシミシいってしまいました(興奮)

その後、展示物を見て40分は居たでしょうか?

短い時間ですが、具志堅さんの凄さを感じた時間でした。(あのTVで、親父さんの思い通りじゃないか!)

当時の沖縄では、「甲子園(沖縄代表の試合)と具志堅の試合は車も走らないほど、県民がTVに釘付け。

考えてみれば、ドルから円への移行(S47年)から間もない頃、

同じ日本とは云え、車はまだ右側通行、アメリカナイツな生活の中で、日本本土に対しては大きな劣等感があった時代です。

本人はどうあれ、具志堅さんは沖縄県民の大きな期待に答えてくれたと思います。

一番小さなクラス、ジュニアフライですが、日本人を代表し13回もタイトル防衛をしたのですから・・・県民の誇りですよ。

いま、具志堅さんのような人が出ても、あの頃の様な興奮にはならないと思います。

「パンチを打たれすぎて・・・」と天然さに、つっこむ芸人もいますが、

彼を知る地元の人は、具志堅は昔のまま・・・と言います。


そういえば、1階には泡盛も販売していました。

一度は、記念館で同じ興奮を味わって下さい。


・・・・あまり知られていない、観光名所情報でした。









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