2013年10月31日

産業祭りの報告



沖縄の産業まつりの報告です。

今年は、めぼしい物が無いと言うのが、

泡盛ファンの報告でしたが、自分なりには、おもしろい物もありました。

ブログでは、まつりバージョンの代わりものだけを取り出して報告致します。

写真は、瑞穂酒造のブースで売られていた、今年で23年になる「21世紀の夢」・・・計り売り。

値段は写ってませんから、解りません(謝)

瑞穂酒造は、祭りだけの商品に限定して販売していました。

一般では出回っていない商品と説明。







興味があったのは、粗濾過の酒(3300円)でしたが、試飲がなかったのが痛かったです。

瑞穂は、この粗濾過系の酒が、一番解りやすいポテンシャルだと感じていますが、

会場で試飲できないのは、マイナスですね。

その他にも、黒糖酵母の高酒精の酒もありました。

44度の芳醇酵母など、この場所で初めて見るラベルも多く、

一番楽しめたブースでした。







  


Posted by 住職 at 22:00Comments(1)泡盛

2013年10月31日

2013泡盛鑑評会



本日は、泡盛の日。

11月1日の「焼酎の日」に合わせ、

沖縄では、「泡盛の日」となっています。

そして、その年の泡盛鑑評会の結果が発表される「泡盛の宴」が行われるのも、

この日になっています。

毎年盛大に、那覇市内の某ホテルで行われる発表会は、

泡盛ファン全体のお祝いのような盛り上がりでしたが、

ここ数年は、マナーの悪い方も多く、問題になっていたようで、

今年は招待客のみで、参加費を徴収する方法となったようです。


私もタダ酒に便乗し、マナーは充分注意したとはいえ、

チブ小持参で、みんなで回し飲みしていたのは、

異常だったのかも知れません。

それでも、酒造所自慢の泡盛が並ぶこの日。

会場では、飲み方を指導しなければ、ついつい飲み過ぎます。

会費を取ってでも、係員を置かなければ、

勝手に飲ませると、エスカレートする。

今後は、市場に出る受賞酒で、話題を広げられたら・・と思います。


今年は、とりあえず、産業祭り会場より、

出品酒を見て、報告・予想をしたいと思います。

ざっと・・・ですが、出品は以下。


金武酒造は、龍の13年と11年古酒

津嘉山は、國華の4年

田嘉里がヤンバルクイナ6年43度

崎山酒造は松藤5年

山川は、珊瑚礁13年と9年

ヘリオス酒造は、15年40度

読谷比嘉酒造は、残波41度11年

新里酒造は琉球12年43度

石川酒造は、13年41度

瑞泉酒造は、7年40度

識名酒造は、時雨14年44度

瑞穂酒造は、11年40度

上原は6年43度

組合は、海乃邦10年

忠孝酒造は、13年と8年、

神谷酒造、7年43度、8年44度

津波古酒造は、太平10年43度、8年44度

宮里酒造は、春雨7年43度

糸満の比嘉酒造では、14年39度、5年44度

宮の華酒造、華翁9年35度

多良川酒造、王朝14年41度、9年44度

沖之光酒造は、11年30度

八重泉酒造、5年44度、4年43度・・・


去年、3年で受賞した高嶺「おもと」は、見当たりませんでした。

飲みもしないのですが、毎年のデータで予想すると、

新里の琉球や、組合の海乃邦、忠孝、春雨、上原は、

知事賞も狙える位置だと予想します。

山川、金武、田嘉里、残波の比嘉、石川、瑞泉、

瑞穂、神谷、まさひろの比嘉、宮の華、多良川は、

貯蔵年数でも狙いに行っており、受賞経験も多い。

個人的には、昔風の識名の時雨、津波古の太平は、

イチオシなのですが、受賞歴が少ないのが不思議です。


傾向として、去年は3年古酒も受賞したので、

今年も、年数だけでは予想できず、

すべての酒造所が射程距離といえます。

宮古の30度が受賞するかもしれないので、

楽しみにして、発表を待ちます。

以上です。











  


Posted by 住職 at 05:13Comments(3)泡盛

2013年10月25日

酒の甘さ



内容と写真は直接関係ありません。


クースが甘い方がいい!・・・と書いたことがあります。

甘さが前に出ているクースほど、理解され易いことは誰もが解っています。

ですが、この「酒の甘さ」については、いつから感じたものなのか?

自分の官能でも、甘い香りや柔らかさは好きですが、

ほんの数年前までは、

「首里酒の辛さが消えると、泡盛の伝統も消えてしまう・・・」

と言われたことを思い出します。

本来、首里酒に伝統の味があったのか?の疑問も抱きますが、

確かに、泡盛全体の中で、辛口と言われる酒があるのは確かでした。

堅さや苦さ、塩辛さなど、カシューの様な味わいでは、甘いとは言えません。

それでも、落ち着きとバランスが取れていれば、

確かにクースとして良い酒です。

今だと、玉友や太平などにそのイメージを感じます。


一方、甕の影響は、それだけでは決して甘みは生みませんし、

ミネラル感などが、表に出やすい。

甕感の渋さなどもありつつ、クースの甘みが加わると、

何とも言えないバランスになる。

この辺が、昔の酒の味なのか?と思えます。

黒糀の囁きなどがそうでした。


まとめにくいのですが、いつの頃からか、

酒は、甘くなっているようで、新酒でも甘くて飲みやすい酒が、

どんどん造られています。

売れる酒が、好まれるのは理解できるですが、

伝統のクースの味は、やはり、想像を超える味の様な気がするのは、

私だけでしょうか?
  


Posted by 住職 at 10:45Comments(0)泡盛

2013年10月17日

甕香



琉球泡盛倶楽部のブログにUPされた萬座会の1枚です。

今年の「うんな祭」の特別限定酒も含め、数本を飲みました。


タイトルに関係するクースは、祭限定酒が甕酒だったので掲載。

記事の内容の甕香では、クース全体の話にして書きます。


最近は、甕臭が甕香に変わってきていると聞きます。

飲み手の酒の利き方が、広い考えになってると思えるのですが、

酒を学ぶ上で、容器の香りは、良い香りだったら良しとする!

といった風潮は、瓶やセラミックといった容器の発展が、

関わっていることが解っています。


昔は、日本酒の品質も、樽の容器の香りが重宝がられた時代があり、

樽酒は、縁起のいい物として広く伝わっていたと聞きます。

しかし、近年の瓶の普及は、樽の香りを異臭として、

嫌う傾向を生みました。


この件を知った時、泡盛の甕香も、

瓶の普及を皮切りに、嫌われてきた傾向にないか?と、考えました。

少なからず、昔は「色の着いた酒は、上位」などと、

甕酒は、尊ばれたことを考えると、好まれていたとも思えます。

泡盛の飲み手の中では、色付きの甕酒は、ほとんど容器臭がある!

と構えられる。


瓶やセラミックのように、酒の本質に影響しない容器は、

泡盛業界に、甕香を嫌う傾向を生み、

クース文化に影響していると考えます。

ですが、文化は人が作るものとすると、それも定め。

容器の変化は、飲み手の酒の風味に対する考えを、

変えてきたのは間違えない。

それを考えると、100年あとの泡盛は、

紙パックの香りや、ペット容器の香りが話題となり、

この香りが無いと、泡盛は美味しくない!と言われるのでしょうか?

複雑な思いがします。

  


Posted by 住職 at 08:25Comments(3)泡盛

2013年10月15日

泡盛の熟成環境 2



うちの家から見えるオスプレイです。

我が家は、滑走路から3.4kmの地点で、

この辺りの飛行は、上空300mくらいでしょうか?

顔が見えるほど近い距離で、問題とされる重低音もかなりのものです。

屋上に泡盛タンクを置けば、振動による熟成には良いのでは?


さて、前回の続きですが、

屋上における瓶貯蔵の、温度環境を書きました。

順序からすると、湿度です。

湿度は自然下ですから、泡盛には大きな影響は無いと考えます。

ワインでは、適当な湿気がコルクの栓の収縮に影響するので、

乾いた環境では、栓が緩み、量の欠減に繋がります。

ウイスキーも、湿度は樽を構成する木材の膨張に影響しますから、

ある程度は高い方が良いと感じる。

他の酒類でも、湿度は高い方が安全ですが、

泡盛は瓶の蓋にも、大きな影響が無いので、今回は触れません。


それよりも影響の大きいのは、紫外線による問題です。

太陽光の中の「紫外線」や「赤外線」は、酒を劣化させます。

特に紫外線は,油臭を付けるのですが、

通常の茶色の1升瓶は、それらを通過せず、

直射日光を避ければ、大きな影響は無いと考えます。

やはり熱の影響の方が大きい・・・。


その熱も、物理的な熟成には影響する!と言いましたが、

科学的熟成には、どう影響するのでしょうか?

正直、私の解らない部分で、この屋上瓶貯蔵に対する未知数の部分です。

もし何らかの良い熟成があるとすれば、この部分かも・・・です。


熱の影響では、過去にこんな事がありました。

減圧と常圧、蒸留環境の違いだけで、

成分における沸点は、成分同士で変わらないのに、何故味が変わるのか?

具体的に、アルコールは78度で沸騰しますが、

減圧下では、50度で沸騰するかもしれません。

でも、同じように、他の成分でも沸点が下がるので、

カット(蒸留終わりはアルコール度数で決める)が一緒なら、

上がってきた酒の味はそれほど変わらないのでは?

そう思ったことはありませんか?

その答えは、減圧蒸留を飲んだ通り、かなり変わります。

蒸留成分には、熱を加えると、分離するものがあって、

分離して小さくなると、沸騰して酒に入りやすくなる。

つまり、高い熱を加える常圧蒸留は、その熱で分離する成分があり、

より複雑な味の酒になる・・・ということ。


このように、熱で分かれる成分がある!と言うことは、

屋上の高い熱は、熟成して会合した分子を引き離す事もある。

その会合体が香り成分の場合、分離した香りんぼ影響は、

臭くなる場合もあるが、温度によっては、

良い香りになる可能性も否定できない。

そんな考えが一つ。


もう一つは、瓶内にあるアルコールの膨張。

容器内の気圧は上がると、その事で、熟成成分の酒類が変わる。

常圧と、どう違うかが分からない点です。

長くなりました。


屋上に瓶で貯蔵すると、どうなっているか?

試した結果を知りたいと思いながら、考えたことを掲載しました。

結果は?飲んでみると直ぐ解るのです。

百聞は、一飲にしかず!です。

興味あるのは、私だけ?  


Posted by 住職 at 22:00Comments(4)泡盛

2013年10月14日

泡盛の熟成環境



泡盛の熟成環境について、おもしろい話をしてみたいと思います。

ある方が、屋上に1升瓶のまま、酒を保管していると話していました。

屋上ですから、温度も青天井です。

陰にしていても、コンクリートの照り返しもあり、

「風雨もあるので、ラベルも何も残っていない!」と話していました。

ラベルについては、どこの酒とも解らない現状に、

一部、反省はあったものの、屋上貯蔵法には、何ら引け目も無く、

上等になっているかもしれない!と自信有気。

私も、人がやったこと無いことなので、大いに興味が湧きました。


さて、泡盛の熟成環境は、ワインのそれとは違い、

温度差が少く、温度一定がイイ!とは言われていません。

むしろ逆で、クース造りは「チャーウクシー」と言われ、

お起し続ける・・・つまり、寝かさない事が、

良い熟成に繋がる!とまで言われます。


熟成における温度環境は、容器内の対流もある方が、まろやかになるのを助ける。

いわゆる多少の温度変化が、《物理的な熟成》を促進する。

一定よりも人間の生活圏で変化する範囲なら、良いとされています。

熟成の種類としては、《科学的な熟成》もあります。

その側面からすると、泡盛の熟成は、酸化熟成とされ、

酸化の進みやすい高い温度が良いとされます。

しかし、高すぎるのも悪く、先に挙げた物理的な熟成

(水とアルコールがクラスターを形成し、アルコールの刺激が和らぐ)

を、瓶内熟成で壊すこともあると言われています。

裏付ける訳ではないですが、本部の謝花さんは33度くらいまで!と言い、

私が酒の師と仰ぐ杵鞭さんは、28度と話していました。


瓶内蒸発!

瓶の中の空気スペースに、水滴のようなものを見た事がないですか?

あれは、瓶の中でアルコールと酒が分離し、

アルコールが付着ししている!考える方がいいかもしれません。

目視でも、熟成環境が悪いことが確認できているのでしょうか?


私は、あることを思いだしたのですが、

長いので、続きと致します。  


Posted by 住職 at 22:00Comments(0)泡盛

2013年10月13日

徐葆光(じょほうこう)



10月の5日、「徐葆光が見た琉球」という映画を見てきました。

http://johoko.jp/ に関係サイトがあります。


沖縄の歴史としては大切な時代で、

当時の中国と琉球の親密な関係を学ぶことが出来ました。

この映画を政治的な側面から見ると複雑です。

作り上げた関係者は、琉球の歴史・文化に精通する研究者が多く、

歴史・文化・芸能的側面から観賞すると、

非常に興味深い映画だと感じました。


徐葆光(じょ・ほう・こう)・・・正式には、そう呼ぶそうです。

彼は、18世紀の冊封使団(副使)で、中国から来た皇帝の使い・清の官僚です。

泡盛の時代背景では、「康煕年間」ですから、泡盛に興味をお持ちの方なら、

戦前には、その頃の300年古酒があった!と言いますから、

著しく酒質が向上した時代かもしれません。

少なくとも、古酒に適合する良い酒を造れていた時代です。

今回鑑賞は、泡盛に関する事柄に触れることがないか?

冊封使は、何か泡盛の事を書き遺していないか?と見に行ったのですが、

結論から言うと、なにも無かったです・・・(寂)


新井白石の書いた「南島志」は、1719年だっとと記憶していますが、

まさに、徐葆光の時代で、中国と琉球が親密に付き合いした時代です。

白石は、泡盛が中国式の酒造りをしていた・・と書き残していますが、

背景からしても、中国の影響が大きかった時代だったことが伺えます。


話を戻して、この映画の取っ掛かりは、

研究者の鄔揚華(ウ・ヤンファ)さんの疑問からはじまっています。

葛飾北斎の「琉球八景」に、「徐葆光」の漢詩が関係していることを知ったウさんは、

そこから、研究を進めた!と話していました。


研究では、彼が残した「中山傳信録」が新たに発見され、

その文献により、当時の琉球の様子が明らかになる。

琉球の外交なども調べるうちに、映画に発展したことを知りました。


当時の資料には、冊封使を迎える宴も7回に渡り行われ、

おもてなしの琉球舞踊や宮廷料理にも、触れています。

何故か、ここで泡盛がないんですよね。

文献には残っていると思いますが・・・。(謎)

琉球舞踊や料理の再現は、研究者・関係者にお願いすれば、

当時を再現すること可能だと思います。

彼女の研究は、徐葆光の立場、琉球の歓待まで、

冊封使の周辺すべてを明らかにし、発表したこと。

映画の掴みで示すと、当時の琉球示す資料的な映画の完成です。


一方、その頃は、1609年の「薩摩侵攻」以後で、

日本の島津藩の支配を受けています。

ここで、気になるのは、中国の立場です。

中国は、琉球の2重外交を知らなかったのか?という疑問が湧きます。

そして、島津と中国の立ち位置は、どうだったか?と気になるところですが、

映画では、中国との信頼関係が大きく示されていることが語られます。

上に示したとおり、中国皇帝の代わりである冊封使にたいする歓待は、

壮大なもので、中国皇帝への忠義は揺るぎないことを示しています。

中国は、琉球の政治には大きく関わり、

無血で琉球政治を指導しているような内容だと感じます。


中国皇帝は、徐葆光ら冊封使を、

琉球国王より上の位に位置付け、辞令を出している。

そして、映画では、当時の琉球が、

島津の役人と中国の冊封団(時には400人)の接触しないよう、

地域の関所に、門番のような役人を立てたことを、語っています。

ここは、冊封使も知っていた?

これも、平和的に指示したような内容に伺えます。


話は根底に触れるが、中国の封建を受け300年になる琉球は、

それまでの冊封使により、何度も内情が伝えられています。

琉球人は平和で穏やかな人達だと、報告されていたはず・・・です。

「争い事が無く、琉球に刀などの武器は無い!」と報告されていたこと。

また、23回450年に渡る冊封時代の後期、

150年(徐葆光に時代)は、軍人よりも文人を配属していること。

この事は、力で琉球を納めることよりも、

完全な信頼関係が築ける関係だったことを示しています。


ここまで来ると、また、政治的な背景がちらつきますが、

日本が付け入るすきは有りませんよ!と言っている気がしました。


私も沖縄の人間ですが、現代の政治的状況がちらつくと、

感謝してられないのも、変でしょうか?

とかく研究者は、自分の研究に酔うもので、

巻き込める人の数が、多いほど嬉しいと思います。

ただ、一つ言えるのは、当時の中国は今とは大きく違っていた事。

そして、今の日本も当時とは変わっています。

変わらないのは、琉球人が、争いが好きでないのに、

争いの真ん中に立たされ続けていること・・・でしょうか?

平和的に見たい。  


Posted by 住職 at 22:00Comments(0)イベント

2013年10月12日

アジアと東洋



あるイベントで、アジアと東洋の違いを考える場面がありまして、

自分も同じように使っていたと感じたので、

改めて、調べてみました。


YAHOO知恵袋にあった記事を掲載すると、

東洋とアジアの違いは、

東洋:アジア諸国の総称。
特に、日本・中国・インドなどアジアの東部・南部をさす。

アジア:六大州の一。
ユーラシア大陸の東部と中部、および付近の島々からなる。
ウラル山脈・カスピ海・カフカス山脈・黒海・ボスポラス海峡を結ぶ線で、
ヨーロッパと画され、スエズ地峡でアフリカと接する。
世界陸地の約3分の1を、また世界人口の2分の1以上を占める。

とありました。

よくわからないので、面積的には、どうなるかと調べると、

日本では、東洋=東アジア、と一般的に考えられます。
それに東南アジアが入ることもありますが、
アジアよりかなり狭い範囲になります。
しかし、これがオリエント(=東洋)となりますと、
トルコから東の地域すべてを指す場合もありますので、
シベリアなども含まれ、アジアより広くなります。
東洋という表現はかなり幅が広く、限定しなければ、
比較の対象にすることはかなり無理があります。

東洋を「オリエント」とすると、シベリアを含み、

アジアより、広くなる・・・。

なるほど!です。

その他に、日本的には、

地理的なアジアに含まれる中東やシベリアには、
現代は東洋のイメージがない。
「東洋とは言えないが地理的にはアジア」という部分が存在するので、
アジア>東洋 ・・・ と言うことで、アジアの方が広いでしょうね。

という意見もありました。


思ったより複雑で、使い分け出来ていない事に気づいたので掲載。

どうも、厳密には東洋が広いのですが、

意識的にはアジアが広いと使っているようです。


イベントでは、中国人が「東洋」を「アジア」と言い直した事で、

笑いがありました。

もしかすると、「東洋」とは、

中国、韓国、日本で一般的に使われている文化圏が絡んでおり、

自分らを中心とする文化圏を示す意味で使われているのでは?と感じます。


ヨーロッパからすると、東洋は「オリエント」。

トルコ・シベリアなどの別の文化圏が入る広い地域になっている。

日本人に、「アジア」が大きく感じるのは、

オリエントをしっかり学べているから・・・で、

中国は、自らの文化4000年の歴史から、自国中心の東洋より、

アジアが広いと思っているかもしれません。


アジア大学と東洋大学は、どちらが包括している?

などの話題に繋がると、喧嘩しそうですね。  


Posted by 住職 at 22:00Comments(0)イベント

2013年10月11日

黒糀の囁き



言わずと知れた、咲元酒造の傑作、「黒糀の囁き」です。

過去にも、ブログでは紹介したはずですが、

久々に口にして、また、新しい感動があったので掲載しました。


黒麹というと、麹の字は普通「麹(こうじ・きく)」です。

その事に触れると、先代が銘々したそうで、詳しくは聞けませんでした。

しかし、字からして、とても古くもあり、

新鮮味もある銘々テクニックだな!と感じます。

当時、この名称については、名前負けしそう・・・

とも思えたのですが、なんとも、ピッタリな名称に感動。


調べると、「糀」と「麹」は、確かに違うようです。

「糀」:[成り立ち]米に花が咲いたように生えるかびの意を表わす。国字

ここで、国字を調べると、
漢字の字体にならって日本で作られた文字。
ふつう訓だけで音読みがない。「峠(とうげ)」「辻(つじ)」「躾(しつけ)」の類。

意味は、同じように麹カビとして使われています。

でも、古い漢字で、こだわりのある発酵食品店では、

「糀」 : 米を醸造して作った物
「麹」 : 大豆・麦を醸造して作った物

と使い分けているところもあるほどです。

ようするに、「糀」のほうが、古く酒に使われてきた漢字ということ。


話は少し変わり、

この「黒糀の囁き」は、「糀菌」由来の味わいというよりも、

そう思わせる「甕癖」と感じます。

なんとも持ち家菌のような味わいを醸しており、

酒とのバランスがかなりイイ・・・絶妙のクースです。


ラベルを見ると、2002年に15年古酒ですから、

今年で26年になる35度のクース。

確か、あの時の味は、酒精とのバランスが見事で、

15年の味わいが先に走り、後追いで「甕香」が立っていました。

簡単に言えば、酒精のパンチがあったのですが、

同時に後に来る甕感が膨らみを与えていると言うか・・・、

それぞれのバランスの良さに、

「甕も大事!」と感じさせてくれた衝撃のクースでした。


しかし、今回は25年になってますし、35度ですから、

幾らかは、バランスを崩しているだろう!と思っていました。

でも、不思議ですね・・・しっかり、予測は裏切られた。

バランスは、甕感が優ってましたが、

感動的に、噛みあっていました。

苦味も感じる大人の味わいである「糀香」(甕香)に、

後追いのクースの甘味が、ビターチョコや黒砂糖のようで、

3秒後くらいに、ほんのりと花開く。

線香花火のような、温かな甕感は、

苦味にも穀物感にも感じるアタックですが、

パッとコーヒーやチョコのような味が、最後に小さくはじける感じです。


やられた!と思いました。

甕と味わいのバランスって、

いい時のバランスを保てるクースが有るんですね。

これは、勉強でした。




クースの造りを聞くと、

酒造所にある3石の甕が、貯蔵処のようですが、

蔵の方は、東南アジア製と話していました。

(私は国内と思ったのですが・・・)

その甕で長期貯蔵されに、バランスのいいように加水し、

味を整え、瓶詰めしたとか。

原酒としての酒質、甕の性格、製品の最終調整、すべてが旨く行かないと、

こんな酒は出来ないと思います。

黒糀が囁くか?・・・囁いたんです。

酒造りの好きな人しか、出会わない味ですよ・・・これは。

  


Posted by 住職 at 22:00Comments(0)泡盛

2013年10月10日

酒造所見学と懇親会



9月の酒造所見学は、最後の酒造所にて懇親会を行いました。

某楽園の方にお願い頂き、酒造所で行った懇親会でしたが、

3時間以上に渡り行われ、凄いことになっていました。(笑)


2つの酒造所から蔵人に参加を頂き、

懇親会を行いましたが、各参加者から頂いた会費は、

見学した酒造所でクースを購入したり、この場所での費用に当てました。

数人の方には、マイクースの差し入れを頂き、

また、各自でグラスも持参していることに、

蔵の人たちも、泡盛への関心の強さを感じたのか?

あるいは、そこまで酒ジョーグー?と感じたのか、

懇親で、皆さんが打ち解けるのに、そう時間は掛りませんでした。


見学会では、普段は聞けないこともお応え頂きましたが、

懇親会では、更にディープな質問が相次いだのではないでしょうか?

酒造所さんには、懇親会までお気づかい頂き、ありがとう御座いいました。

また、企画したいのですが、

こんなこと、何度もすると嫌われそうですから、

できれば、2年に一回くらいです・・・か?

次回もお願い致します。  


Posted by 住職 at 22:00Comments(1)酒造所

2013年10月09日

ブレンドとマンチャーの違い



写真がどこだったか?忘れたが、北京のホテルで販売されていた

久米久米ブラウンが、3千円した話には驚いた。

海外で、泡盛を売るには、まだ長い道のりがありそうである。


さて、県下どこの酒造所に行っても、「古酒の郷」の話で、

いい話を聞けないのは、寂しい。

古酒の郷構想は、始まったばかりだが、広い駐車場などの設備、

タンクがはだ半分!など、未だに、コスト的な削減を叫ぶ話も少なくない。

おまけに、組合の事業と合併する話もあり、

米の値段が、運営の一部になることも考えられると感じると、

泡盛全体の価格が上がることも考えられる。

気が気じゃない!


聞けば、古酒の郷構想はバブル時代から、

泡盛ブームなどの、泡盛に順風な時代に構築されたと聞き、

内容を改善する余地はあった・・・と思うのだが、

当初の理想論をそのままに、進んでいるように感じる。

確かに、私としても、いい泡盛造りに、理想は曲げたくないが、

業界の体力にも、各社で差がある。

加えて、タイトルの問題もどうなんだ?と良からぬ噂も耳にした。

年数がたっていれば、品質は二の次・・・。

火の無いところに煙は立たないとと言うが、

そんなことは、許される話でない。

ブレンドとは、良い酒を更に良くするために、掛け合わせることで、

高い技術を必要とする。

対し、マンチャーとは、量を増やすために素人でも出来る

「混ぜるだけ」の作業である。


心配したのもつかの間。

その関係で、先日聞いたのは、品質を利く人がいるよ!

ということで、民間の泡盛会の会長も名前を連ねている!

という話だったので、いくらか安心した。

いづれにせよ、自分の舌しか信用できない人も多いので、

早く古酒の郷ブランドを口にしたい!と願う。


その時に、タイトルの話が出ないことを願う!  


Posted by 住職 at 22:00Comments(0)泡盛

2013年10月08日

古酒用泡盛の話



古酒用泡盛について、気になる話があった。

一般的に、35度以上あればいい!とか、度数は高い方がいい!とか、

あるいは、濾過による油脂成分を抜き過ぎるのは良い古酒にならない!

とか、言われるが、この前聞いた話では、

アルコール収量の話があった。

米の力をどこまで引き出せているかが、アルコール収量だと思うが、

あまり低いと米の旨味が引き出せていない!という話で、

やはり、いい古酒には育たないという話だった。

一般的に、アルコール収量は、どの位なのだろうか?

県内トップの宮里酒造は、やはり昔から高かったと聞いている。

そして、古酒用としてもかなりの評判です。


古酒のポテンシャルとしては、収量も関係がありそうだと感じるところがある。

それでも、造りというか、蒸留域の一部を商品化している酒もあるので、

それだけに執着してもいけないが、

高い収量を上げる技術は、古酒のポテンシャルに繋がることは思います。


逆に、低いとはどれくらいなのか?

米1トン当たり、420ℓ未満だと少ないと聞いた。

私が聞いた酒造所では、460ℓの蔵もあったので、

40ℓはかなりの差で、30度換算では1升瓶換算で70本以上にもなる。

やはり、直感でも古酒にするには、米の力を引き出せてないと感じます。

蒸留機では、直火が古酒向けともいわれるので、

直火の収量も聞いてみないといけません。

一概に、収量だけで判断することは出来ないですが、

実際、どうなんでしょう。  


Posted by 住職 at 22:00Comments(0)泡盛

2013年10月07日

地酒論議



地酒で乾杯の論議もありましたが、何を持って地酒か?

という話もあります。

酒造所の工場があり、雇用があれば地酒か?というと、難しい・・。


解りやすい例でを挙げると、

地元意識の代表は、会社の名前に、島(しま)の名前が付いている場合もあれば、

代表銘柄に地域の名前が付いている商品も少なくない。

そんな酒造所や商品が、他の地域で地元を地酒を主張すれば、

難しい壁に当たると思いますが、そんな例も少なくない。

そこは、行政がフォローするべきところもあるか?と思いますが、

最近は、伊江島を例に挙げても、忠孝や瑞穂、今帰仁など、

いくつも、その名前で出しているんですよね。


私の住んでいる浦添市にも、酒造所は無いのですが、

「久米島の久米仙」が事務所を持っています。

久米島の久米仙の名前で、浦添が地元と地元を主張されると、

酒飲みは理解しているが、何かおかしい。

もともと、仲里酒造時代に事務所を置き、後から社名を変えたので違和感がない。

いつの間にか、変わった感じです。


地酒論議には、枝葉もある話でした。

  


Posted by 住職 at 22:00Comments(2)泡盛

2013年10月06日

坂口謹一郎先生



東京大学の名誉教授 坂口謹一郎先生の言葉で、

那覇の酒造組合と糸満の比嘉酒造には、

写真のような名文が石碑に刻まれ、建立されている。


坂口先生は、どういう酒を飲んで、この言葉を残したのか?

先日もそんな話で、盛り上がったのだが、

個人的にも、非常に興味があった。


泡盛は貯蔵して7年目以降は劣化する!

と言った税務署の方の話は、記憶に新しいが、

坂口先生が飲んだ酒が、劣化していた酒であることは、まず考えられない。

「君知るや名酒あわもり」という論文が、

雑誌「世界」の昭和四十五(一九七〇)年三月号に発表された!

とあるので、泡盛の時代背景は、新酒も今のような品質でないことは予測できる。

当時は、県下酒造所のほとんど直火式蒸留器だったはず・・・。

機械式の蒸留器になる前の酒の品質となると、酒造所別で差もあったろう。

濾過の技術も今とは違い、新酒は強くて飲み難さが強かったと思う。

それよりも、その頃までは、ザラメ等も用いた雑原料もあったのでは?と思える。


色んな事を考えて、話を広げるのは楽しいが、

私の予測は、その頃のいい酒で、

甕酒の20年位の戦後の酒を飲んだのでは?と思っている。

(その味が、後の名文に繋がったとは言いません・・・続)

と言うのも、先生の本には、日本酒や焼酎を世界の酒と比べた一文があり、

日本の酒は、清酒にしても焼酎にしても、

新しいものを飲む文化がある!とあった。

(その話には、続きもあるが、ここでは割愛する。)

国内の酒の中でも、泡盛は他国の酒文化のように、

エイジングを貴重とし、品質を定めていることに目を向け、

国内でも珍しい酒であり、世界に誇れる酒であることを、充分強調している。


話を戻すが、論文の中では、沖縄は世界で唯一の黒麹菌の大宝庫である!と述べ、

これを使ってつくった泡盛は世界の酒造史からみても、

ゆるぎない名酒であることを格調高く明言とあった。

先生は、貴重なすばらしいクースを飲んだわけでも何でもなく、

泡盛の造りと、エイジングの文化を持っている泡盛の背景だけを伺い、

それだけで、この名文を残したんだ!と、強く感じた。


どんな酒を飲んで、この名文を浮かべたのか?なんて、

そんなあさはかな話でないない!と考えると、

凄い先生が居たもんだ!と感じ、自分がまだ勉強不足だと反省ししました。  


Posted by 住職 at 22:00Comments(0)お酒

2013年10月06日

伊江島



伊江村の前村長、大城勝正氏が逝去しました。

まだ、一緒にクースを飲みたかった方でした。

つくづく残念です。

心から、ご冥福をお祈り申し上げます。




  


Posted by 住職 at 18:39Comments(0)その他