尚順男爵

住職

2010年07月11日 22:00



尚順男爵の「松山王子 尚順遺稿」の、P14 

鷲泉随筆(二)「古酒の話」の冒頭には、

「クースは単に沖縄の銘産で片付けては勿体無い」とある。

私が注目したのは、その後のくだり、

「葡萄酒の様に穴倉に入れておいて済むものではない」という部分だ。

昭和13年ごろの沖縄で、葡萄酒の管理方法を知っている人がどれだけ居たのか?と考えた。

読まれた人は、どう思っただろうか?


泡盛の管理法を、葡萄酒と比較するのは簡単ではない。

葡萄酒は本来日本にもあったとは言え、簡単に手に入らなかっただろうし、

管理も、相通じるものもあることを知りながら、あえてそう述べている。

それが、本は戦前の話なのだから凄い。


私が遅いのか?、男爵が早いのか?

と考えるより、戦争で失われたデータ(クース、人、メモなど)が、計り知れないと改めて感じる。

戦後60年が経ち、クースとは何たるか?の、

戦前にあった管理知識、イロハのイの1歩をやっと歩み始めた気がする。


しかし、つくづく凄い人ですね。

王様の末裔なので、私が考えるまでもないのですが、

こんかセレブな友達がいれば、人生も変わります。


そういえば、私の友人に尚家のある方と同級生が居まして、

小学校の頃、家に行くと、おやつに「プリン」が出たそうです。

プリンをはじめて食べた話でしたが、今でもはっきりと覚えていました。

「あの時代にプリンよ!プリン!」と、50年経っても興奮気味に、話していました。

昭和30年頃ですから、当然、庶民にはプリンなど知らない頃・・・、

前述した葡萄酒と同じで、世界が違いますね。

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