2024年01月17日
王府時代の酒造り
泡盛に興味のある人は、王府時代の酒造りについて、本で知っている人も多い。
http://www.isc.senshu-u.ac.jp/~thb0309/OishiiOkinawa/awamorikonjaku0329.pdf
萩尾俊章氏著の 泡盛学の決定版 「泡盛をめぐる 沖縄の酒文化誌」の中には、
冒頭に泡盛今昔が掲載されているが、その中には、
P17から、首里三箇の酒造りが掲載されている。
その中には、
王府では往昔から酒造の権利を有してきた酒屋 30人を本職といい、
後に重職(カサミ)と称される 10 人を追加して許可した。この 40 人が焼酎職であったと
いう。ただ、東恩納寛惇の「泡盛の話」には、「焼酎職という職別があって三箇の業者 48 軒にこれを命じ、
焼酎職 48 職と唱え」とあり、焼酎職の詳細については不明なところがある。
いずれにせよ、40人~50人の焼酎職がいて、
王府から原料の米を支給してもらい、酒を製造し収めていたことが解っている。
蒸留器は王府の管理で、酒造りが終わると、
銭蔵に返還されたことが掛かれている。
そのころの蒸留器は、「垂鍋似」と書かれているが、
「鍋」と「垂れる」という字から、仕組み的には、
写真のような簡易的な仕組みの蒸留器だと想像するが、
アルコールの収量も悪かったと思われる。
続きに、収めた酒の量が記されているが、興味があったので、
次回に掲載する。
Posted by 住職 at 22:00│Comments(0)
│泡盛